リカが旅立ってからの時間リカと過ごした最後の1日

2014年06月19日

リカが旅立った時のこと

6月23日深夜 記

リカが旅立った日の写真を眺めていました。

寝ているみたい・・・

あの時あったこと 気持ちをきちんと記しておこうと。

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2016年6月19日


この日の朝、リカご飯も食べず水も飲んでくれませんでした。

私が手で水を救って口にもっていっても飲みません。


ううーっと唸り声。

おむつを変えようと外すと、血便でした。


朝一番で病院へ。

病院へ着くと、待合室には数組の方が待っていました。

受付で・・・

「リカの主治医T先生にお願いしたいですが、とにかく早く診てもらいたいので
よろしくお願いします。」と伝えました。

受付の方はリカの様子を見て配慮してくださったんだと思います。


すぐに診察室に入れてもらえ。

体温は38、1度
問題ないと。
体重は6.1キロでした。

体温を測る時、おむつの汚れを見て
「消化機能が低下している」とも。

それに・・・
頬の腫瘍から出てきた膿のようなものは、今までとは違った色をしたものでした。
タオルについた色は血が混ざったような色で。


先生にリカの状態をお話して点滴をお願いしました。

4月に診察してもらった時に
「食べられなくなったら、点滴をしに連れてきてください」と言われていました。

それに、リカにはもうそれしかしてあげられることがないということで・・・


この時点ではまだ、私はリカがそんなに大変な状況だということをわかっていませんでした。

以前のように点滴を打ってもらえば、先生からもらった缶詰をその場でむしゃむしゃと
食べるんじゃないかって思っていました。

でも、まだぐったりとして・・・


先生からは「心音がゆっくりになってきています」「覚悟してください」と言われ。

それでもまだ「でも点滴を打ってもらえば・・・」と、今っていたほどで。


「家に帰ってからもご飯を食べなかったら
また点滴を打ちに連れてくればいいのですか(私)」

「はい、食べなかったら毎日でも(先生)」

「先生、今日はリカお薬(アジソン病の)飲んでいないんです(私)」

「今はもう、それはいいのでは・・・(先生)」

そんな会話も。

後から思いだすと、私は全くわかっていなかったのです。


それに今思えば、以前だったら点滴を打って半日入院してようすをみてという形をとったと思います。
でも、そうしなかったのは「家で過ごさせた方が」という先生の判断だったのかなと。


急いで自転車で家に戻りました。
カゴの中で丸くなっているリカを触りながら、一生懸命こいで。


後から思いました「あ〜、なんでタクシーで行かなかったんだろう」と
この時も、私はほんとバカで「あ〜次からはもうタクシーで行かないとリカがかわいそうだな」なんて
思っていたのです。


家に着いて、リカを横にならせて。

暑かったので、リカと一緒に扇風機の風に当たっていました。

リカ急に「ウウウーッ」と唸り声をあげて。


えっ!リカ!なに?どうしたっ!

っとリカを抱きかかえると、リカの口が開いていて舌が出ていました。
慌ててリカの舌を口の中にいれ・・・

リカはもうぐったり力もなくて

リカ〜
リカ〜

ありがとうリカと、リカの目を見て言いました。

時計を見たら10時13分。
たぶん2分くらいたっているから・・・
10時11分くらいだったんだと思います。

リカが息を引き取るのと私の言葉とはどちらが先だったかはわかりません。

今こんなふうに書いていながら、普通だったら「リカ〜死んじゃだめ」って言葉が
咄嗟に出るものなのかと思います。

ずっと私の心の中でリカに「リカ 頑張らなくていいから 思った時に旅立つんだよ」と
思っていたから・・・その言葉が出なかったんだと思います。


その後は・・・


2人っきりの家の中は、静かで静かで


何度もリカにお礼を言って


「覚悟してください」と言われていたものの、まさかこんなに早く・・・

でも、リカはきっと家に着くまで頑張ってくれていたんだと思います。


ベランダに出たら青空が見えてて


あ〜 青空の見えた日にリカが旅立ててよかったと思いました。


2014061901




4月に悲しい現実を突き付けられて・・・

でも、ブログを見てくださっている方から温かい励ましの言葉をいただいたり

「どうか 後悔のないように」と言ってもらったり・・・


全く後悔がないわけではないです。
あの時、タクシーで連れていけばあと何日かリカは生きてくれていたかもしれません。
それ以前に、24時間の病院へ行っていればなど。

でも、私が一緒にいる時に旅立ってくれたこと。
それだけで・・・

リカ 最期まで母思いのいい子でした。


介護やリカのお世話に関しては

「おかぁしゃん 不器用だからね〜。ちゃっちゃとできないかね〜」とか

「気がつくの遅すぎ〜」とか

「おかぁしゃん お出かけ長すぎだよ」とか

リカにしたら、いろんなことがあったかもしれませんが・・・


うん。


最期までやはり鈍感なのかもしれませんが
後悔という気持ちはないです。


悲しいのは当然で
思いだしては泣いています。

でもそれ以上に
リカへの感謝の気持ちでいっぱいです。

okiraku_r at 02:00│Comments(2)おもひで | 悪性腫瘍

この記事へのコメント

1. Posted by チョビのお姉さん   2014年06月23日 23:40
後から分かるものだと思います。
私もリカママ様とおなじ状況だったら
やっぱり同じだったと思います。

リカちゃんは幸せな一生だったと思います。
優しくて愛情深いママの子で。

>リカ 頑張らなくていいから 思った時に旅立つんだよ。
以前、栃木にリカちゃんとお蕎麦を食べに
行かれた時、書かれていたことは
この事だったのですね。
本当にリカちゃんの事を思ってされた
決意ですね。

私は言えないかもしれない。
自分の事しか考えられなくて。
その時になったら取り乱すだけだと思います。

リカちゃんのご冥福を心からお祈りいたします。
リカママ様もどうかお体を大切にしてください。


2. Posted by チョビのお姉さんへリカママ   2014年07月08日 10:17
5 ■リカの犬生どうだったかな〜?お留守番ばかりの生活だったので。でもちょっとでも楽しかったよって思ってもらえていたら嬉しいですが。

大事な大事な家族との別れは、ほんと悲しくて辛いですよね〜。
私も初めての体験で・・・

リカのことだけでなく、私のことまで・・・
いつもありがとうございます。

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